元素変換005
【日本での研究】
ユタ大学のニュースを見た日本の研究者の中に、水野忠彦氏(当時、北海道大学助手)が居ます。水野氏は、二人の電気化学者がやった実験方法に驚きました。
「実験に使った装置は重水を満たしたフラスコ中に、陰電極としてパラジウム、陽電極としてプラチナを置いただけの簡単なもの」というのは、水野氏が学生時代から取り組んでいた実験と全く同じものだったからです。
水野氏は、核融合の研究としてやっていたのではなく、パラジウムやチタンといった金属が、水素を吸蔵する性質そのものを研究していました。研究の目的が違っていたとはいえ、方法が同じであれば、実験装置の中で「核融合」が起きていた可能性があります。
水野氏は、あらためて「核融合」という観点で実験をやりなおすことにしました。水野氏の思惑とは別に、間もなくして北海道大学の佐藤学部長が、追試チームを編成することになり、水野氏もそこへ編入することになりました。
その頃、米国では否定論の勢力が急激に拡大し、反論というレベルを超えて、研究者等の人格を疑うような攻撃が始まっていました。
各地の大学は追試を行いましたが、核反応の証拠である「放射線」が検出されなかったということで、否定論は加速してゆきました。
北海道大学でも同じような状況が起きていました。追試は開始されていましたが、十分なデータが得られる前に、水野氏の上司は「フライシュマン、ポンズの報告はおかしい」として、追試をやるまでもなく完全に否定する姿勢を固めてしまいました。
このようにして、夢のエネルギーの希望は、発表からわずか数週間という早さで葬られてしまいました。
このような人間社会の力学が急速に働いたケースは、理化学研究所がSTAP現象を発表し、すぐに葬られたときの様子に似ています。